shiroshitaについて

城下工業が、創業以来大切にしているコトは2つあります。

1. 企画、開発、製造、販売、カスタマーサービスまで一貫して自社で行うコト。

長野県上田市の本社工場では、製品開発のための技術検証からスタートし、基板や筐体の設計と試作を行います。

製品製造は、社内スタッフがひとつひとつ手作業で組み立て作業を行います。
手作業にこだわるのは、組み立て作業の精度が、そのまま音の違いに影響すると考えるからです。
大量生産ではないからできるコトだと自負しております。

2. 永くお使いいただくためのサポート体制(自社で修理対応をするコト)

出荷した製品の修理も、すべて自社内で行っております。
パーツのストックを常に用意し、お客様からの修理のご依頼があれば修理担当スタッフが故障箇所を検証、必要な修理を行うための見積もりをお送りします。
パーツのストックは可能な限りおこなっており、パーツが生産完了して入手が困難になるまでは修理の対応を行います。
発売から10年以上が経過した初代真空管アンプ(SW-Tシリーズ)など、現在も修理のご依頼をいただき対応しております。

そんな城下工業は、さかのぼること1923年、モノづくりのプロフェッショナルの最初の一歩を製糸会社として上田市でスタートいたしました。ここからは、その歩みをふりかえります。

1923年

シルクの糸をつくり販売する会社としてスタート。時代のニーズにのって、日本産のシルクが世界へ出荷。

1959年

終戦後、製糸業の斜陽化の兆しを感じ、事業の多角化として城下電線工業を設立。製糸事業は別会社の城下製糸株式会社として事業を継続。

1960年

1966年製糸事業と電線事業を統合、城下工業株式会社に。当時の電線納入先(米国教育音響機器メーカー)だったことから、ヘッドホン、レコードプレイヤーなどのオーディオ機器の生産がはじまり、のちのサウンドウォーリアシリーズに繋がることに。

一度に6人が同じ教材を聞くことができる、といった教育機器でした。これはヘッドホン6台が専用木箱に入っており、蓋をあけると、その箱の中央にある分配器にもとの入力ソースを送ると、6台のヘッドホンで聞くことができました。
設計は発注元企業であったものの、その図面から実製品へ落とし込むという作業は、発注元の様々な要望に技術対応するため、自社設計ができる力が養われていきます。

1970年

1970年のオイルショックの影響もあり、輸出に依存しないために、国内大手音響メーカーとも契約。米国向け輸出用教育音響機器を手がけたキャリアを生かして、国内でもヘッドホン、マイク付きヘッドホン、カセットテープレコーダー、CDプレイヤー、ワイヤレス拡声機器、 更に、LL教室やコンピューター教室システムなどへと製造の幅を広げました。

1980年

さらに80年代後半から、ホール音響、放送局・スタジオ、などの業務用音響機器生産も始まり、各種アンプ類などのオーディオ分野も手掛け、大手音響メーカーへの供給が増加、当社売上70%以上を占める規模に。技術陣も増強し、必然的に、自社開発の地力がつくことになったのです。

1990年

90年代になって世の中は大変革がおこります。国内生産がどんどん縮小され、円高を背景にオフショアと呼ばれるアジア諸国へ、大手メーカーの生産拠点が移りはじめます。国内の製造会社が少なからず、事業縮小や廃業を迫られるなか、城下工業は前向きに自社製品の開発販売へ舵をきりました。

そんな中、最初の城下工業のオリジナル製品がRoadWarriorです。アメリカの企業へ通信用のテレカプラーの出荷を開始。あわせて電話回線変換プラグなどの通信関連アイテムも出荷。96年には、アメリカから逆輸入する形で、RoadWarriorシリーズが国内販売になりしたが、耐久性と性能の信頼を得て、徐々に報道関係などのプロユース市場にひろがります。

それまでのメーカーの開発した設計図を元に作るOEM(Original Equipment Manufacturing)から脱却し、自社による開発設計した製品を他社ブランドの商品として販売するODM(Original Design Manufacturing)に軸足を移します。つまり、当社オリジナル開発商品を他社向けにカスタムし、他社ブランド商品とし て量産化するというビジネスモデルです。こうすれば開発リスクは当社にあり、相手先は低リスクで自社商品が生み出せ、当社は自社開発資金を他社ブランドでの販売収益で得るという相互のメリットがあります。

OEM,ODMで豊富な生産実績を誇ってきたヘッドセットから、最初の自社商品のヘッドホンTR-01が生まれました。当初は、知人の伝をたよってレコーディングスタジオで使用して意見をもらうことからスタート。スタジオを利用したアーティスト、エンジニアにおおむね好評価をえて、徐々に口コミがひろがっていきます。

またいろんなユーザーからのフィードバックを反映し、TR-03までバージョンアップしたとき、いまの音と耐久性ならば、CDショップの試聴用に使えるかもしれないと考え、渋谷のTSUTAYAに、CD試聴用のヘッドホンとして提案に。運良く当時の担当者に気にいっていただき、店舗内CD試聴用ヘッドホンとして30台ほど設置が決まりました。以後一年間、あれだけの人が訪れる場所でありながら、ほとんど交換せずに機能した(イヤーパッドすら破れなかった)ことが口コミで広まり、HMVオリジナルヘッドホンの発注を受けたりと弊社ヘッドホン事業が走りはじめました。

2000年

RoadWarriorといえば、2003年に発売したマルチタイプの電源変換プラグの「ゴーコン」この製品以前にも、同様の機能をもつマルチタイプの電源変換プラグは、いくつかありましたが、変身ロボットものを意識して設計したことが、面倒なプラグ変換に遊び心を加え、特徴的なデザインを生みそれがメイドインジャパンらしさも相まったとおもいます。

RoadWarriorとヘッドホンが順調に売上をのばしたことをふまえ、満を持して2003年に、自社の技術力を結集して最初のオーディオアンプをリリース。それが、真空管をつかったSW-T10です。良い音をリーズナブルにというコンセプトから、販売も流通コストを最小限に抑えられる通販だけとしたことで39800円と、従来の真空管アンプの常識を覆すほどの価格を実現。シリーズとして、CDユニット付きモデルや、より出力の大きな機種などもリリースし、宣伝などをせずに7年間で、3000台以上を販売しました。販売終了した今も、長くお使いいただいているお客様からの修繕の以来はつづいており、誠に感謝しております。

2005年以降、コンシュマーオーディオ事業で幾つかOEM・ODM先を開拓し、ハイエンド系商品も手掛けはじめ、少しずつではあるけれど事業化が進みはじめます。他社からいろいろなご要望をいただきOEM・ODM商品供給を進めていくことで、だいぶコンシュマーオーディオ市場全体像を把握できつつありました。デジタル系のオーディオ処理の先端技術もいろいろと実験開発できることで、新しい自社製品の姿が見え始めます。

2010年

2010年に生産終了した真空管アンプにかわるものとして「良い音をリーズナブルに」はキープコンセプトのまま、ODM事業をとおして養った最新のデジタル技術を形にしたいという思いからうまれたのが、SoundWarriorデスクトップシリーズです。さらにここには、真空管アンプの実績とノウハウもリユースして、ハイブリッドの製品もリリースしました。

2020年

2023年に100周年を迎えた当社。社会のさまざまな変化に柔軟に対応をしつつも、いままでのモノづくりへのこだわりは変わらずつらぬき、かつ、品質保証を含めた物流サービスを開始するなど、今までの製造業の枠組みに囚われない、様々な事業を展開していきます。